「そーさんの人生ビンビン物語」

 

そーさん
そーさん

こんにちは‼︎
人生ビンビン!!そーさん(Sosan_9s)です。
ゆるーく楽しんでます…

○簡単なプロフィール

名前:そーさん オス

1989年生まれ。畜産研究員の父と臨床検査技師の母のバリバリ公務員の両親から産まれた3人兄弟の末っ子。高校卒業まで新潟で暮らし、浪人・大学進学のため東京へ。日本体育大学の体育学部を卒業してます。

 中学から体育の先生になることを決めていたので、中・高・大と教員になるための勉強をしますが、社会勉強せずに教員採用試験の勉強しかせずに保健体育科教員になったことで人間としての幅が狭くなっていったことに気づきました。→ライターとして独立→起業

現在は東京を拠点に「起業家教員」という肩書きでWebメディアを運営。
学校の先生向けのイベント、教員志望学生向けイベント、保護者向け教育相談、キャリア支援などを行なっています。

「オトナの保健体育」代表執行責任顧問
※公式ゆるキャラ「ちんくん」
ナチュラルフェイス専門カメラマン=「ナチュ専」代表取締役カメラマン

【発信内容】心×体×経済の健康
現場踏んで、『保健体育科って、もっと保健科に力入れたほうが良くない?』って思ってます。
実体験から『教育現場にお金の教育って必要』って思ってます。

教育現場でタブー視されている
『性教育』『お金の教育』
に関心があります

○保健体育科という強化の重要性を発信
→オトナの保健体育・ちんくんの絵描き歌


○学校の先生も起業家の視点を持つ重要性を発信【起業家教員】
→社長見学・令和にやりたい100のこと・教育良書etc)

教育現場とビジネスの共通点を見つけて発信することが大好きです☺︎
ツイッターも最近始めました‼︎(そーさんtwitter)フォローありがとうございます。

関連記事:教員志望学生と高学歴生育歴インタビュー
関連記事:先生と非日常体験でストレス発散のクルージング体験

6年連続なかがわさとし君‼︎/そーさんの小学校時代

 新潟県の新潟市で伸び伸び育ちます。

 小学校時代は本当に部活(バスケット)が大好きで、そのために学校行ってました。新潟県で準優勝、テレビ放映されるまでに成長。

 ちなみに聡(そう)という名前は、
新しいクラスでは名簿を呼ばれる時に必ず担任の先生に間違えられました。

先生:「中川 聡(さとし)くん」
俺:「聡(そう)です。」
先生:「え??翔(しょう)??」
俺:「あ、聡(そう)ね。そうって言うんだ、そうなんだ‼︎ダジャレみたいだね〜あはははは笑」

みたいなやりとりがあるので、毎年毎年嫌だな〜と気にして、
小さいながらにコンプレックス持ってました。(先生方、キラキラネームと呼ばれる時代ですが、くれぐれもお気を付けて。)
この「人と違う珍しい名前」から、気にしいの性格が開拓されていきます。

また、気にしいを助長させたのがこの「低身長」と「こんがり肌」
親戚の集まり〜美容室までどこに行っても必ず「バスケットっぽくないね。」と言われまくりで、かなり気にしまくりました。

おかげさまで相手を見る時、物事を見る時に「見た目」「上部」などの表面的なところで判断しない子になりました。w

 小学校6年の終わりに急性腹膜炎で入院し、2ヶ月ベッドの上で過ごしました。
「別れの言葉」の代表だったにも関わらず、卒業式に出られず卒業します。w

体育の先生になることを決定づけたそーさんの中学校時代

 入学式の前日に退院し、入学。小学校時代の仲間と共に中学でもバスケット部に入ります。リハビリしながらでしたが、仲間との差を埋めようと必死になりました。

 体力的に周囲に追いついてきたはずが、身長が高い人が優遇される監督の指導のもと、ベンチを温める日々が続きました。
いちばん印象に残っているのは、新潟〜愛知まで片道7時間半かけて行った2泊3日の遠征で、1分も出場せずビデオ係を1日中していました。笑


 小学校の時に補欠だった高身長の選手がレギュラーで出場し、試合に負けるのをベンチで眺めている度に「俺が出たらもっと出来るのに。悔しい。」と思ってました。

そんな中「俺を試合に出せ‼︎‼︎」と言えない自分にもまた、やきもきしてました。

そんな現状を打開できずにいる中2の夏頃、鉄欠乏性貧血が発覚。
戻ってきたはずの体力が、ランニングメニューではチームでビリに。

また医者に通院する日々に、これが転機となって
①「健康の重要性」を指導者の立場から伝えられる
②「バスケットを教えて笑顔になる生徒を増やしたい」

と、体育の先生になることを決意しました。

環境の変化にもがいたそーさん高校時代

高校入学の際に、2つの大きな環境の変化がありました。

中学の時つるんでいた友人が別の高校に行ったことと、母親が千葉県の病院に単身赴任になったことです。

「父子家庭って、こんな感じなのかなあ。ツライ。」と思いました。

新しい環境に慣れることにストレスがかかり、部活後家に帰っても家事炊事洗濯掃除を父親と2人でやる生活に完全にキャパオーバーしてました。

明るく振る舞っていても、心のどこかにモヤモヤがある変な感じでした。

テスト勉強もせず赤点を連発し、なんだか無気力な3年間を過ごしました。

唯一の救いであるバスケットも、中学までは全国大会を目指して勝負にこだわっていたチームにいたので、周りの熱量とは違いかなり空回りしました。

3年の時は部長をしていましたが、多くの部員が辞めていきました。度重なる怪我で通院していたことを理由に、部長をクビになりました。

目標もなく、何が楽しいか分かりませんでした。
なんとなーく周囲の雰囲気に飲まれて流されるだけのクラゲのような感じで、体育の先生を目指す仲間と受験するも見事に自分だけ失敗。

同じテストを受けている仲間は合格し、自分だけ不合格を突きつけられた時には本当に身のよじれる思いでした。

このままじゃダメなんだなぁと、本気で自分のやりたいことを見つめ直しました。

母親が家にいなくなっただけで、今まで当たり前だった生活に変化が出ました。
環境がすごく大事なことと、周囲への感謝の心を学びました。

いよいよ自立しないといけないこと、自分の人生の舵をとるのは自分だと決心し、東京にある体育大学専門の予備校で浪人する決意をしました。

東京の洗礼を受けたそーさん浪人時代

3兄弟の上の2人は、ともに高校・大学と私立の学校で、関東の大学に進学し下宿していたこともあって、予備校に通うお金は新聞奨学制度を使いました。

配属された麻布近郊の専売所の寮に住み込みで、

2:30〜6:30朝刊を360部配達、
8:30〜14:30予備校で勉強・トレーニング、
15:00〜18:30まで夕刊を340部配達。

というかなり変則的な生活を続けました。

寮に集まる人もかなり変則的なクセモノが多かった。笑
同じ予備校に通う仲間、アニメオタク、ミュージシャン、LGBT、東大生、宗教、毎日Hな本買う社員さん…自分の世界観が一気に広がりました。

麻布のボロい寮から富裕層のお宅に新聞配達を続け、新潟にいる時にはテレビでしか見かけなかった芸能人や経営者と知り合うことが多くなり、田舎モンにはかなり刺激的でした。

その出会いの中で、「君、先生になるより自分で仕事作って経営やったら??」と潰れたよっばらいを介抱しているときに言われたひと言が、後の人生を左右することになるとは、この時はこれっぽっちも思っていませんでした。

「え?自分で仕事って作れるもんなんですか??」ってな感じで、
体育の先生になるために上京してきたので全くの他人事でした。

様々な出会いがあり、様々な経験をさせてもらい、あっという間の一年でした。
無事に大学に合格しました。

体育会系になる!?そーさん大学時代

大学で高校の時にクビになったキャプテンにリベンジ‼︎今度こそうまくいきました

いよいよ一年越しのキャンパスライフが始まりました。

体育の先生になるための専門的な分野を学び、
部活では体育会系=先輩・後輩の縦社会に揉まれることになります。

代々受け継がれてきた歴史ある大学で、ひとつ上の学年から規則や約束事を徹底的に教育されます。同期にはひとつ下はもちろん、年上もいましたが、関係なくひとつ上の学年から指導を受けます。

そういった背景からバスケット部の同期とは協力したり、助けてもらったりと沢山の時間を共有しましたが、年齢関係なくその人の行動に目が向くようになりました。

「年齢よりも年輪。」
どれだけ正しく行動しているかが大事なんだなということがわかりました。

また、座学のひとつで面白い授業と出会い、「保健科」の面白さに出会いました。

「体育の先生」と「保健体育科教員」は全くの別物なんだという事に気付きました。

保健の授業というと、性教育が一番印象的ですが、畜産研究員の父と臨床検査技師の母が性細胞に関わる仕事をしていた関係で、朝食の食卓で納豆かき混ぜている横で「精子」、「卵子」などの用語が飛び交う家庭環境だったそーさんにとって、性教育は「自分こそ教えるべき大切な教育」と自負しました。

他にも、健康の整え方や、保健の授業では交通事故の防ぎ方や、心理状態が悪い時にどう行動に影響が出るかという適応規制について学んで行くうちにどんどんのめり込んでいきました。

その授業で学んだ知識が、その日から一生使える知識が多い大切な教科だという事に気がつきました。

また自分の健康状態で悔しい思いをしてきた経験が、

より強く「自分の教え子には、正しく保健の知識を教え同じ悔しい思いをさせたくない」という気持ちに繋がっていました。

この時から、保健体育科教員として運動を教えられるのはもちろん、保健科の重要性を教えられるような先生になりたいと思いました。

そこから、コツコツと教員採用試験の勉強を継続して、満を辞して保健体育科の教員になることができました。

間違った問題をコツコツ覚えたカード学習

もっと人間力を高めたくなったそーさん教員時代

晴れて保健体育科教員になり、特別支援学級の配属になりました。
保健体育はもちろん、国語・数学・英語・理科・社会・総合・道徳…
様々な教科を生徒と一緒に学習活動をし、毎日が充実していてとても楽しかったです。

発達の遅れに食生活や環境が起因していることがわかり、さらに保健分野の勉強もしました。様々な文献、書籍にもを通し、多くの情報に触れました。

不登校の生徒が学校に来るようになり、卒業式ではクラス代表で別れの言葉を言うまでに成長していました。保護者も涙を流して喜んでくれました。

初年度にたまたま創部されたバスケット部が、地区優勝しました。

整列の仕方や、靴の紐の結び方から生徒と一緒にバスケットを楽しんで教えてました。0→1から地区大会を優勝する生徒の姿を見てたくましく、若さにうらやましく感じました。

そんな充実した毎日の生活の中で、悔しい思いもしました。

中でも、シングルマザーのお母さんと3者面談で接した時には、自分の経験のなさを痛感しました。
(関連記事:28歳泣かされました)

その時から、もっと自分の人間力を高めたいと思い始めました。

先生になってから、自分の将来の夢がなくなっている事に気付き、もっと生徒に「大人も夢を追いかけている姿を見せたい」

と思うようになりました。

消費者心理学、資産形成、金融、営業、経営…

あらゆることをかじってみて「一度きりの人生、自分らしく生きてみたい」と、独立を決意しました。

確定申告で管理職に伝えると
「社会をナメとるんか?」
「どうせまた教員に戻ってくるよ」

と、散々馬鹿にされましたが、
リスクをとるなら今だし、一度きりの人生やってみたい事に挑戦し続けたい‼︎

何よりも、
「0→1を生み出すことの充実感・達成感」
「本気で取り組んだ時には結果がついてくる」って経験をして知ってたから。

起業家教員として生きていく。

2016年3月、中学校保健科教員を4年間勤務し退職。
教員を辞めて感じたのは、今まで職員室で繋がりのあった仲の良かった先生や、他校の先生方とパッタリ連絡が途絶えたこと。

「ああ、やっぱりあの職員室の中川聡でしかなかったんだな…」と。「一個人としての”中川聡”を売り出していかないとこの先絶対にダメだ…!」と強く感じました。
そんな悔しさをバネにフリーに転身後も、webメディアでビジネスを通して学んだことや教育に活用できる情報を発信していたら、webメディア運営7ヶ月目で学生の前で講演に呼ばれ生き方を語るという夢を達成しました。

なぜ安定の道を捨ててまで??

「なぜ」
グローバル化が進むに連れ、外国人労働者や、
海外工場を用いてコスト削減や人員不足を補う
企業が増加している。

外に、外にと視点が向いてる中、
「会社存続ができる収益が上がればそれでいいの?」
と疑問を感じ、

「日本をよりいい国にしていきたい。」
という思いが強くなりました。

日本には少子高齢化が進む実態があるので、
少ない子どもの人間的質を高めて、

日本経済を潤わせるような起業家の育成が求められます。
日中の時間を教育機関で過ごす子どもにとって、
学校現場にいる職員の在り方が大きな影響を与える要素になります。

「どのように」
子どもの質を高めるには、子育てする人と関わる必要があります。
保護者(家庭教育)
保育・幼稚園(幼児教育)
小〜高学校教員(学校教育)
全てのカテゴリーの大人が学び続ける姿勢が必要です。

学校現場に勤務していたことから、学校現場からアプローチしていきます。
学校現場の実態は、確実にいい方向に向かっています。

それを前提に
✔︎授業準備時間不足や長時間労働・土日勤務
✔︎児童・生徒や保護者対応の負担
✔︎部活動や分掌・人間関係
✔︎行政始め学校外への悩み

といった教育問題があるのが現状です。
時間がない中、情報を取れるように発信していきます。

(関連記事:労働的環境と教育的仕組みの問題)
(関連記事:教員が持っている考え方の問題)

「何を」
心・体・経済の健康

●webメディア
・教育現場の内外のズレ

●社長見学
・社会科見学の社長編

●イベント
・教員の非日常体験

独立してからは、毎日が失敗の連続でした。

従業員として与えられた仕事を回すのと、従業員の生活を抱え仕事を作る経営者の視点の違いなどほんのちょっとした外側の情報が学校現場に活かせる事にも気付きました。

ビジネスの世界に出て感じたのが、学校の内側と外側の違いです。

時間に対する考え方やお金に対する考え方が違いました。

「悪いことしてると、高校・大学に行けないよ。」
という指導は必要ないことも

いろんな経営者の生き方を聞いているうちにわかってきました。
(何よりも生き様やドラマがあって面白いです。)

学生時代はかなりのやんちゃをしていたが…法人の代表をやっている長谷川社長
緊張してた自分の過去から、メンタルトレーナーとして活躍されている石津社長

長時間労働、服務事故、いじめ、自殺、モンスターペアレントなどの教育問題は、こういった情報をヒントに最終的には無くすことが可能だと感じました。

なので、今はwebで教育現場に役立つ情報を発信していくサポート役をやってます。

海外の教育に目を向けて、実際に現場に足を運ぶことや、実業をやっている方の価値観、学生時代の話を聞き、対談形式で発信する事で、学校の先生に役立つ情報を発信していきます。

現在教育に関わっている方や、
学校の先生を志望し、採用試験を受けることを考えている方にサポートしていきます。

そーさんの応援よろしくお願いします。

「今後の目標は?」「将来どうなってたいの?」とよく聞かれます。

「より多くの教育に関わる方に認知される」
「幼・小・中・高・大問わず若い世代に生き様を語る」
「林修先生や井上雄彦さんと対談する男になる」
「何か問題が起こってから解決しようとする日本人の健康の概念変える」
「良いものでも悪いものでもないお金への認識を変える教育する」

笑われても、馬鹿にされても、
必要としてる人たちに届ける予定です。応援、よろしくお願いします。

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